俗流神学者と俗流科学者

小田垣はまず、科学の中立性・客観性を、クーンのパラダイム論を援用して、否定していく。これはすでに常識である。要するに科学は認識の手段であっても、真理を明らかにするようなものではない。もしいまでも科学が真理探究の学だと考えている者がいれば、それは俗流神学者にすぎない。だが科学が真理探究の学問ではないからと言って、神学がそうだと言うことはできない。神学もまた科学と同じように、中立・客観の対象的な神を想定しているかぎり、俗流科学者にすぎない。