2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

神の言葉によって生きる

向う岸の世界とは信仰を獲得した後の世界のことである。その世界を知るには向う岸に渡ってみなければわからない。神を自我の中に迎え入れ、対話できる環境に身を置いてみなければわからない。これを言葉の問題として言えば、此岸における言葉は記号であり、…

岸に向かって漕ぎだそう

信じたいが信じ難い、信じ難いが信じたい、信と不信との堂々巡り。この往還運動から抜け出すために私という小舟を向う岸に向かって漕ぎだそう! しかし夢遊病者の跳躍のように虚空めがけて跳んだ結果が墜落! なんてことはないか? そんなことを恐れる必要は…

彼岸への跳躍

此岸から彼岸への跳躍といってもこの世からあの世への跳躍を意味するのではない。彼岸とは信仰を得た世界のこと。こちらの岸に立って世界を見るのではなく、向う岸に渡って、向う岸から逆にこの世界を見直してみるのである。別の譬えでいえば、自我という部…

跳躍の決断

パスカルはデカルトのような神の存在証明は行わない。その代わりに神の実在/非在を「賭け」で問う。この賭けは勝てば儲け、負けても損はない。とはいえ負ければやはり虚しさは残るだろう。この空虚感こそ私たちの心理を支配するものである。しかしパスカル…

パスカルの希求

言葉によって呼び出された超越者=神。その神に向かって人間は祈願する。しかし始原にあっては神は個人のものではなく共同体のものだったであろう。共同体のアイデンティティとして確かな根拠を与える者こそ神であった。やがてそれは個人の根拠ともなってゆ…

人は神をどのようにして見出すのか

言葉は人間のものであるが、誰のものでもない。言葉には他者性が具わっている。(5/28・29)それが自我(意識)の自己超越をもたらす要因であろう。神はその他者の最たる者(絶対他者)である。では人はその神をどのようにして見出すのか? 神が人間的本質の…

超人と神

超人もキリスト者も、ともに自己超越を契機とするが、超人は自己に頼み、キリスト者は神に頼む。もちろんフォイエルバッハのように、神に人間的本質をみるなら、神も自己に回収されるであろう。イエス=キリストが神と人との仲介者であるのは、たしかにそう…

ニーチェの超人

ニーチェが言う「神は死んだ」とは、西洋キリスト教の総体的批判の言葉である。そこに西洋文化の欺瞞・偽善の体質を見たのだ。その点はフォイエルバッハの認識と共通している。ニーチェは神的実在を否定したが、同時にそれに代わる価値を模索した。そして神…

神は死んだのか?

神は実在する。だがそれだけでは私に確信を与えない。なるほど旧約聖書の世界なら、神と人間との交通が見えるように語られていて、人々は神の声を、想像ではなく、実際にも聴いたように思われる。だが私たちにはもはや聴こえない。神は沈黙する。あるいは「…

神の実在 2

たしかに神の実在とは言葉によって呼び出された人間的本質である。しかし神を人間が創り出した幻想にすぎないとみるだけなら(誤まりではないが)、それで終わりである。それでは神的なものと共にあった人類の歴史・文化を説明することはできない。人類の歴…

知恵と感動の源泉としての神

人間の思惟において最高の理念がイデアであるとすれば、その人格的至高者が神である。ユダヤ教はそこに源泉を置いた。人類史上あるいは宗教史上有力な宗教のひとつであるキリスト教は、ユダヤ教から借りたその神を自身の神として普遍化した。西洋的にみれば…

言葉が創り出した神

フォイエルバッハが『キリスト教の本質』で述べているように、神とは人間が創り出したものである。言葉によって形成された自我(意識)は、その言葉によって自己を超え出ていこうとする。自己超出あるいは自己超越である。言葉は人間から出て、人間の外に人…

神の実在 1

実際に在るか無いかも分らない神でありながら(もちろん言葉においては在るが)、これを実在としたユダヤ教において、神は現実に働き歴史を創り出していった。これはちょうど、もともとフィクションでしかないお金が、現実世界を動かしていくことに似ている…

実在する神 

聖書(旧約)には神が「人格」をもって生きいきと描かれている。そこでは神は目に見えるように実在している。ひょっとして、これが書かれた時代、人の目に神は見えたのかもしれない。ともかく、神は人格をもった神としてイスラエルの歴史に介入し、これを支…

実在についての思惟

インド哲学のようなものはともかく、ユダヤ教の聖典である「聖書」には神の実在についての思惟がすでに成立していたことが確認できる。たとえばモーセが神にその名を質すと、神は「わたしはあるという者だ」と答えている。(出エジプト3:14)神観念がこのよ…

ユダヤ教の成立

人類史における一連の宗教的な営みの中にイスラエル民族の宗教運動もあった。この民族宗教の興隆は、今日からみて、人類史上および宗教史上の画期となった。ことにそれを決定づけたのは紀元前6世紀の「聖書」の編纂である。ここにユダヤ教が成立、それ以前…

「実在」への問い

人類の根源に宗教的事象がある。それらは様々な形態をとって世界各地に現われ展開していったことだろう。それらの営みにはすべて「言葉」が働いていたことを押さえておかなければならない。そうした営みの中から神についての思惟がなされるようになっていっ…