岸に向かって漕ぎだそう

信じたいが信じ難い、信じ難いが信じたい、信と不信との堂々巡り。この往還運動から抜け出すために私という小舟を向う岸に向かって漕ぎだそう!  しかし夢遊病者の跳躍のように虚空めがけて跳んだ結果が墜落! なんてことはないか? そんなことを恐れる必要はない。彼岸は確かにある。歴史や文化さらには人の実存において、それは証明されている。要するに人間にとって信仰が創造的なものであることはまちがいない、それがまちがった信仰でないかぎり。