2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

言葉と感動2

人類史において宗教的事象(今日宗教学が扱うような事柄)が始原において現れたのは、言葉と感動(驚きと畏怖)とが一体のものであった何よりの証拠である。それは人間が人間であるかぎり、根本的に「人間」を規定するものである。私ははじめに、神を「信じ…

言葉と感動1

太陽、月、星、あるいは山、海、あるいは樹木、岩、あるいは生と死(再生)からなる生命現象……そのような自然界にある物象や現象を前にしたとき、おのずから発せられた感動が言葉の始まりかもしれない。では人間以外の生物にも感動はあるのだろうか? 感動に…

言葉の他者性2

言葉とは他者である。言葉はどのような場合でも他者性を帯びている。もちろん自閉的なモノローグも例外ではない。言葉は私という人間を運ぶ媒体である。たとえ自閉であっても、私は他者なる言葉によって運ばれている。その言葉の他者性が最大限発揮されるの…

言葉の他者性1

言葉の不思議の根本には、それが自分の発したものであっても、自分のものではないということがある。たしかに人間は言葉を使って自分の意思を表わすことができる。しかしそうした言葉でさえ、言葉そのものは自分のものではない。人間は誰のものでもない言葉…

言葉と音楽との同起源説

言葉は、お金のように目に見えるものにとどまらず、目に見えないものまで言い表すことができる。それにしても、人間はいつから神の概念(観念)を得たのだろうか? まえに宗教の源泉に感動があるということを述べたが、言葉そのものが感動から生まれたと考え…

お金(言葉)のリアリティー

マルクスは『資本論』において、物と物との交換からお金(貨幣)が生まれてくるプロセスを説明しているが、お金とはじつに不思議の極みである。自然界には存在せず、焼くにも煮るにも役に立たないのに、人間界では、人間の物質的生存に不可欠なものとして「…

神なる言葉2

「母」とは、それが対象に名付けられると同時に成立した概念である。それ以前に、対象は在っても概念はなく、したがって「母」は存在しなかったのである。ではそもそも対象として存在しないものに対して名づけられた言葉はどうか? 竜が架空の生物であること…

言葉について

言葉とは不思議なものである。いつ誰が発明したのかも解らない。ともかく言葉を失えば、人間は再び本能の世界に舞い戻るほかない。生物はほどほどに世界を分節し生きている。幸か不幸か、言葉を獲得した人間はこの生物界を脱して人工(ノモス)的な世界を作…

神なる言葉1

神が実在しようが非在であろうが、「神」という言葉(概念)はある。その場合、神が非在にもかかわらず、「神」が在ると言うのであれば、その神はフィクションであろう。まるで竜か麒麟のように。だが神が実在するとしても、言葉によって捉えられるのであれ…

意識と言葉

意識とは何ものかに対する意識である、と言われる。意識の志向性である。だがこの意識とは何だろうと考えると、思い至るのが「言葉」である。私たちが考えるのは、言葉によってである。言葉なしには考えること、思うことはできない。恋愛でさえ、生殖(本能…

存在と意識

「在る」ということについて、デカルトは人間の意識(思惟)を基点にした。「われ思う(思考する)ゆえにわれ在り」だ。「象がいる(在る)」という場合でも、それは思惟主体である「われ」が象を対象化した結果、得られる認識である。象が認識の対象でなけ…

神の実在

「実在」という語には、少なくとも二つの異なる意味がある。一つは「象は実在する」というような場合。もう一つは「神は実在する」というような場合。前者は五感を通して実感できる物象であり、科学が扱う領域である。では科学が扱うことの出来ない「神の実…

神の存在

神学に戻ろう。神は科学の対象とはなり得ない。だが神が有る(在る)とはどういうことだろうか。神の存在証明というのがある。有名なところではデカルトが行った「本体論的証明」というのがある。しかし神が有ることが自明なことなら、わざわざ証明するには…

宗教と科学2

宗教と科学の違いについて、もう少し述べてみよう。それは、科学によって宗教を批判することは無理だということ。なぜなら科学には宗教現象や心理現象を対象化することはできても、神や霊魂そのものを対象化することはできないからだ。科学が対象化できるの…

宗教と科学1

宗教の源泉には感動がある。神学はそれを理性的に語る。その点では科学も同じである。宗教は感情的、科学は理性的というのは当たらない。いずれも感動が源泉にあり、それを理性をもって扱うのである。ただ扱い方が異なる。それは対象の違いによる。宗教は神…

信仰の源泉としての感動

信仰の根底に感動がある。これについては、神学者オットーによる説明が有名だ。かれは主著『聖なるもの』において、ヌーメンという概念でそれを言い表している。私は、前回それを音楽に対する感動を例として述べたが、自然もまた感動をもたらす。自然に対す…

信じたいが信じ難い

私にとって神は、信じたいが信じ難い、という対象だ。信じたければ信じればよいのだが、存在を確証できない対象を信じてどうなるのか、という疑問を拭い去ることができない。反対に、そんなに疑わしい対象を、どうして信じたいのか、と問い返してみると、そ…

あいさつ

はじめまして。「現代世界に神学の意義を問う」という趣旨で始めてみました。これから少しずつ書いていきます。読んでいただければ幸いです。さて神学とはまことに浮世離れしたものです。有るか無いかも解らない対象を、有るものとして弁証していくというの…