言葉と感動2

人類史において宗教的事象(今日宗教学が扱うような事柄)が始原において現れたのは、言葉と感動(驚きと畏怖)とが一体のものであった何よりの証拠である。それは人間が人間であるかぎり、根本的に「人間」を規定するものである。私ははじめに、神を「信じたいが信じ難い」対象であると書いた。(5/10)逆にいえば、「信じ難いが信じたい」のである。その根底に「感動があるからだ」とも書いた。この感情は「人間」の根源にあるものである。この感情が神なき時代といわれる現代にあっても生き続けているのは、それが「人間」を規定するものだからである。