神の実在

「実在」という語には、少なくとも二つの異なる意味がある。一つは「象は実在する」というような場合。もう一つは「神は実在する」というような場合。前者は五感を通して実感できる物象であり、科学が扱う領域である。では科学が扱うことの出来ない「神の実在」とは、どういうことか。たとえ目に見えなくても「在る」ということができる対象はある。心とか精神などがそうだ。それは物象ではないが、確かに在ると実感できる。心のない人、精神的活動をしない人はいない。したがって心は実在する、精神は実在する、といった言い方は不可能ではない。しかし普通は使わない。「実在」という言葉は「存在」という言葉よりも、もっと本質的な意味を持っているからである。では「神は実在する」とは、どういうことか? もう少し考えてみなければならない。