信じたいが信じ難い

私にとって神は、信じたいが信じ難い、という対象だ。信じたければ信じればよいのだが、存在を確証できない対象を信じてどうなるのか、という疑問を拭い去ることができない。反対に、そんなに疑わしい対象を、どうして信じたいのか、と問い返してみると、それは神に対する感動があるからだろう。たとえばバッハの「G線上のアリア」とかモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」のような音楽は、神に対する感動(敬虔な感情)なくしては生まれえないものだろう。聴く者にとってもそうだ。たとえ神を信じていない者が聴いても感動できるのは、上手く作曲されているからだけではない。情緒(感情)が働くからだ。この情動をどう理解すればよいのだろうか?