実在する神 

聖書(旧約)には神が「人格」をもって生きいきと描かれている。そこでは神は目に見えるように実在している。ひょっとして、これが書かれた時代、人の目に神は見えたのかもしれない。ともかく、神は人格をもった神としてイスラエルの歴史に介入し、これを支配し導いている。ここでは、ギリシア的な理念的実在とは異なる神と人間とのダイナミックな交通(交渉)が成立している。いやこの交通が歴史を創り出していったと言ってもよい。ユダヤ教の成立と展開が人類史上の画期をなしたと言えるのは、そういうことである。