実在についての思惟

インド哲学のようなものはともかく、ユダヤ教聖典である「聖書」には神の実在についての思惟がすでに成立していたことが確認できる。たとえばモーセが神にその名を質すと、神は「わたしはあるという者だ」と答えている。(出エジプト3:14)神観念がこのように明確に「実在」を表わしたことは、文化的に相当高度な段階に達していたことを示している。(因みにギリシアでは神観念の進展は止んで、神話から哲学へと展開、理念的な実在(イデアやエイドス)が追究され、高度な展開をみせた。その支流がのちにキリスト教と合流して「キリスト教神学」を形成していくことになる。)