人は神をどのようにして見出すのか

言葉は人間のものであるが、誰のものでもない。言葉には他者性が具わっている。(5/28・29)それが自我(意識)の自己超越をもたらす要因であろう。神はその他者の最たる者(絶対他者)である。では人はその神をどのようにして見出すのか? 神が人間的本質の一形態であるなら、神が見出されるのは、人間の求め(希求・祈願)以外にはない。人間が神を呼び求めるのである。(聖書はそれを逆転して神の側からの関与として描く。この逆転こそ宗教の原理、信仰の意味であるが、これはもっと後で述べよう。)