反面教師としてのキリスト教

歴史的にみれば、キリスト教は「人間的自由を求める闘い」(8/9-10)の壁となってきた。もちろん人類史が神話(宗教)から科学(合理主義)へと展開してきたとすれば、キリスト教も宗教のひとつとして、歴史における「反面教師」の役割を果たしてきたとも言えよう。ともあれキリスト教がひとつの宗教でしかなくなったこと(相対化されたこと)は歴史の趨勢であって悪いことではない。ある意味、これで本当にキリスト教信仰が可能になったとも言えるからである。