神の言葉は人間的な語りである

神が「人間的」なものであるという自覚があれば、語る/騙るの区別をつけるのは難しいことではない。カール・バルトは、神が「人間的」なものであるとは言っていないが、かれが神の言葉を「人間的な語り」として限定するとき、語る/騙るの区別をつけているのは明らかである。