消去された「歴史」

エスの「神の国」運動は当時の政治的状況と無関係ではありえなかった。イエスはその状況下で処刑されたことは厳然とした事実である。福音書は、それを希薄化あるいは無力化している。しかし、それがキリスト教の公式的な見解になっていったのである。だが、いま改めてイエスの史的属性を見直すなら、非政治化された福音書の記述の背後に、消去された「歴史」が浮かび上がってくるはずである。