独善からの脱出

小田垣の批判(不可逆論批判)の根本は、神学において一般的な、対象化された神(偶像神)を仏教的無(無相)によって見直すことにある。無においては可逆も不可逆もない。神を無とみるとき、キリスト教は仏教のような他宗教と通底し合えることはすでにみた。(6/20)このことによってキリスト教はようやく自己絶対化(独善)の誤りから脱出する機会を得ることができるのである。