祈り

「私」とは他者である。なぜなら「私」とは言葉であるから。まして「神」ならば他者性はもっと明瞭である。祈りはその神に向かってなされる。祈りに形式はない。祈りたいこと、祈らずにはいられないこと、それを神に向かって発するのが祈りである。自分の成功を祈ったり(ご利益?)愛する者たちの幸せを祈ったり(家内安全?)世の中の平安を祈ったり(世界平和)……。祈りは叶うこともあれば叶わないこともある。だが祈りで最も重要なことは、叶うか叶わないかということではない。祈ることそれ自体である。信仰に生きるとは祈りに生きることでもある。