神が介入する歴史

キリスト教は歴史性・社会性を備えた宗教である。しかしこの性格はユダヤ教から受け継いだものである。ユダヤ教においては神はイスラエル民族共同体(社会)を導き、歴史をつくりだしていく者である。だから歴史といっても、ヘロドトス司馬遷が描くようなものではなく、神が歴史に介入する、神と民族共同体との交渉の歴史である。つまりそれは人間的本質である自己超越のパトスによって描かれている。しばらくこの点を追ってみよう。