言葉において顕れる神 1

キリスト教における歴史性・社会性についてはいずれまた述べることにして、神信仰の話に戻ろう。言葉において顕れる神(絶対他者)、それを聖書はつぎのように記している。「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらず成ったものは何一つなかった。」このヨハネ福音書冒頭の記述を創造論的に理解することはできない。これは物理的世界の話ではなく、言葉によって分節される人間と世界の関係を言い表わしたものとして理解すべきである。たとえば太陽が太陽であるのは、人間が対象を「太陽」と名づけたからである。「太陽」とは言葉である。「成ったもので言葉によらず成ったものは何一つなかった」と言うのはそういうことであって、言葉以前から実在するある者(神?)が無から万物を創造したというような話(創造論)ではない。それは科学の領域である。