言葉において顕れる神 3

キリスト教の神がユダヤ教の神と同じなら、「父なる神」はヤーウェと同じことになる。だが「旧約」のヤーウェという神名は固有名であるのに対して、「新約」の神(テオス)は普通名詞である。この違いは小さくない。しかし面白いと思うのは、固有名である「ヤーウェ」が、畏れ多いとされて、「主」と呼び代えられたことである。たとえば「ご主人様」と呼ぶより「八兵衛さん」と呼んだほうが親しみがあるのに、それでは畏れ多いというので、「ご主人様」と呼び直しているようなものである。ここには固有名⇔普遍という関係がある。他方「新約」では神の普遍が前提とされている。が、イエスは神を「お父さん」と親しく呼んだようである。だとすればここにも普遍⇔固有名の関係を認めることができる。