イエスの言葉=神の言葉

人間的本質の自己超越化した対象、それが神である。だから神とは「人間的」なものである。そこには当然仲介者が存在する。だがじつは仲介者は仲介者ではない。神の言葉の実体(内容)である。よってイエスの言葉は神の言葉である。と言えば、それは所詮人間的な神理解だと言われよう。だがそれは誤解である。そこには言葉の根源にあるもの(他者性)に対する洞察が欠落している。言葉とは、それが「神である」と言い得るほどの、驚くべき威力を具えたものである。