騙りの来歴 15

教会においてバルトが誤用・悪用されるのには、教会的な事情が考えられる。信徒にとって神の語りを人間の語りとして認識することは、難しいばかりではなく、受け入れることができないということがあろう。神は「全能なる神」として存在してくれたほうがありがたいのである。そのために教会そして牧師は、信徒のニーズに応えるべく神を騙ってしまうのである。