神への固執

普遍=無をめぐって宗教者が語り合っても実りはない。しかし宗教の固有は無としての普遍と相即でなければ独善に陥る。それはもはや固有ではなく固執である。キリスト教が神に固執すれば、それはキリスト教自身を普遍とは無縁な宗教とする。普遍を意味するカトリックが歴史において独善的であったのは、神に固執して普遍を解さなかったからである。