「不信」において「信」がある

物事には表と裏がある、正があれば必ず反があるように。信ずるという「信」には、信じられないという「不信」が含まれる。逆も成り立つ。「不信」には「信」も含まれる。それが「信」というものである。神が絶対確実に存在するなら、「信」という概念は要らない。むしろ「不信」において「信」がある。それが信仰というものである。