存在が存在者によって語られる

存在は存在者なくしては存在しない。存在者も存在なくしては存在できない。言葉とは存在と存在者との関係そのものである。「言葉が語る」とは、存在が存在者によって語られることである。存在が先でも存在者が先でもない。小田垣の言う「存在論」とはそういうあり方を指している。それは「上から下」でも「下から上」でもない、神学の二極構図からの脱却の原理である。