好い加減にせよ

言葉の本来性が損なわれれば非本来的な言葉が蔓延するのは当然である。今日私たちが使う言葉の多くは方法論的なものばかりである。科学が技術にばかり加担してその本来性を喪失しているのがよい例である。神学も神を対象的に固定化し、それを「神が語る」と言い募るのであれば、それは独善的な騙りにすぎない。そろそろ好い加減にしなければならない。