十字架の意味

信仰における不信仰という否定的契機は、十字架そのものの意味である。断末魔のイエスに投げつけられた「十字架から降りて見せたら信じてやる」という悪態は、私たちの心の中にある不信と同質のものである。十字架を贖罪の意味で語るのは、教団的(共同体的)な神義的道徳化にすぎない。十字架は不信仰を否定できない。しかしそれをキリストは降りて来れるのに降りて来ないのだと考えれば、十字架の意味を誤まる。もしキリストが十字架からのこのこと降りて来たら、それこそお笑いだろう。降りて来ないのではなく、降りて来られないのだ。しかしそのことによって信仰の「在りか」を示しているのである。