信仰の間

信仰は不信仰を含み、不信仰は信仰を含んでいる。それが信仰である。小田垣が「間」というのは、信仰と不信仰の相即的な関係のことである。「信と不信、義と罪の『間』、その二重性にこそ信仰はある(中略)『間』性は人間イエスが同時に神の子であるという矛盾のことである」(第3章)