信仰の理

信仰は不信仰と相対してあるものである。ふつう信仰に決断が必要とされるのは、決断によって不信仰を振り払うためである。だが事情がそのようなものであるなら、信仰には不信仰も含まれていると見なければならない。不信仰のない信仰というものはない。それを信仰の揺れと勘違いして、自分の信仰の弱さを嘆く必要はない。信仰即不信仰、不信仰即信仰は信仰の理(ことわり)だからである。