神の絶対性のパラドックス

前回記した小田垣の言葉のなかに「理としては正しくとも、事としてはその神は絶対他者ではない」というのがあった。それはつまり、神の絶対性という理屈(一般)は一応成り立っても、それが実際に現れるのは具体的な出来事(特殊)を通して以外にない、ということである。そうであるなら、神の絶対性は相対的なものでしかあり得ない。つまり神の絶対性とはパラドックスだということである。