反省の産物としての聖書

聖書編纂の重要な意味は、イスラエル民族(ユダヤ人)が歴史の第一幕全体を振り返って、その悲劇の理由を自分たちが神から離れた「罪」によるものとしたことにある。この反省的視点から聖書(ユダヤ教聖書=旧約)は編纂された。つまり聖書は民族的反省の産物(物語)なのである。因みに神=ヤーウェは戦争神としての性格を有していたところからその暴力性が問題になる。はっきり言って良くない神である。しかしこのような神はどこにでもいる。したがって肝心なことは神=ヤーウェの偉大さではない。イスラエル民族が神=ヤーウェの顔を立てたことこそ偉大かつ画期的なことなのである。それよってかれらは自分たちのアイデンティティを確立したのである。神が人間的本質を対象化(超越化)した形態であることの典型である。