裸の王様

エス=キリストが「虚言」か否かということはこの言葉のリアリティーにかかっている。前にお金のリアリティーについて述べたが(5/26)、イエス=キリストのリアリティーを保証しているのは「歴史」である。だが教会の発展にともなって「歴史」は失われていく。ちょうど糸の切れた凧のように、「歴史」から切り離されたイエス=キリストだけが教条(ドグマ)化する。そうなればイエス=キリストは虚言と化するほかはない。権力が背景にあれば「裸の王様」がのし歩くだけの話である。