自由の源泉イエス

歴史の中間報告書を書くとすれば、キリスト教の功罪で罪に当たるものは「人間的自由」に対して壁の役割を果たしてきたことである。だが一方で抵抗する側にとってもキリスト教が有効であったのは、マイノリティーがイエス的なものを担ってきたからである。それは迫害期のキリスト教徒に始まって、宗教裁判時代の「異端者」たち(ルターもその一人)、20世紀ならキング牧師たち、そのような少数者によってキリスト教はアップ・デイトされてきたと言ってもよい。もちろんマイノリティーが権力を握れば、今度は支配者として反動化する例は少なくない。だがイエスは変わらない。イエスはいつでも自由を求める側に寄り添いその源泉となってきた。