偶像崇拝の起源

信仰者はひょっとしてこう思うかもしれない ― 神は絶対者なのだから「上から」が当然である。それが受け容れられなければ信仰ではない。これは一面の真理を含んでいる。信仰には神を受け容れるということ(気づき)が伴うからである。しかしそこではキリストは対象化されている。すなわち主客構図が前提されている。ここに偶像崇拝の起源がある。「生きているのはもはや私ではない。キリストが私の内に生きているのだ」と書いたパウロが、あれほど偶像を禁じたのは、信仰の頽落がどこから起こるかということを知悉していたからである。