哲学的神学への移行

小田垣の『解釈学的神学』の副題は「哲学的神学への試み」である。かれは序説においてすでに「解釈学的神学が意図していることは一つの哲学的神学の建設である」と記している。古来神学と哲学は、神と人間との関係として相対的に捉えられて来た。中世にあっては、哲学は神学の「下僕」とされた。が近代以降、哲学は神学から独立した。哲学は神の存在を前提とする神学とは袂を分かったのである。だが神学の方で神の存在が無とされるなら、話は違ってくる。哲学の方でも、近代哲学における主客二元論が廃れ、ハイデッガー以降存在が問われるなかで、再び神の問題が浮上してきたのである。要するに神学も哲学も、そこに纏わりついてきた形而上学的な意匠が解け、両者は接近してきたのである。宗教哲学はそこに存在意義を見出している。その神学的なアプローチが「哲学的神学」である。