一とキリストとの関係

私は小田垣の言う「一」を否定するものではない。ただ「一」とキリストとの関係が不明瞭であることを指摘しているのである。小田垣によれば、「一」とは自己と不可分なもの、かつ無として有るものであった。私の理解では、それは超越即内在/内在即超越ということである。それが自己と不可分なる「一」である。同時に「一」は無根拠なる言葉に根拠を置いている。神とは無根拠なる言葉である。それを無というなら無、空というなら空である。だから神の言葉は、それを告げる者(具体的一者)を必要とする。無(空)を言葉で満たす者、つまり神の言葉を預かる者、それが預言者である。これが「一」なる神とキリスト(イエス)との関係である。