それを言ってはおしまいだ

「原事実」が無であるなら、それを第一義的な不可逆の接触などと言い表わすことはおかしい。しかし小田垣はそう考えながらも、自分の信仰として、この不可逆性すなわち神の主権の優越性に同意すると言う。ただしそれを「言表してしまってはおしまいだ」と付けくわえている。なぜならそれは「事」に「理」を与えるからであると……