言わぬが花

事と理の関係はふつう、事(出来事)があって、それに理(言葉)的説明を与えるというものである。とすれば事に理(言葉)を与えるのはおよそ「学」とつくものすべての宿命であり、神学も例外ではない。とりわけそれが理論ともなれば、明確な主張を含むことになる。滝澤の「原事実」も理論である。それを言っちゃーおしまいだと言うなら、小田垣の言にも当てはまることになろう。言わぬが花なら、神学者は沈黙しなければならなくなる。